ノーベル化学賞の話題と佐々木隆興論文集
 Opra Omnia から拾ったこと

SCIENTIA 12月号(bQ4)
財団法人 日本学会事務センター 2002年12月15日発行

取材先 岩間毅夫
佐々木研究所附属杏雲堂病院副院長
TEL 03-3292-2051 FAX 03-3292-3376
〒101-0062東京都千代田区神田駿河台1-8

ノーベル化学賞の話題と佐々木隆興論文集Opera Omniaから拾ったこと

             佐々木研究所付属杏雲堂病院外科 岩間毅夫

佐々木隆興が米寿を迎えたときに、佐々木研究所所長であった吉田富三が佐々木の論文集をOpera Omnia(論文集の意:opus<opera作品、omnia, omnibusあまねく集めたもの;omnibus of the articles)としてまとめた。現今のCancer ResearchNature等の論文に見られるような記載方法、すなわち自力で行った他の実験結果との比較考察を行った上で、総合的に細菌酵素の働きについて考察を加えると言う方法はとっていないが、佐々木の一連の論文は個々独立していて、きわめて簡潔なものであり、科学論文としては明快で美的である。**
  
  昨年
(2001)、名古屋大学の野依良次先生がchirality(炭素原子が周囲に4つの異なる分子を付ける場合のこと:原子組成は同じだが鏡像のような物質で、重ね合わせができない分子:不斉合分子・旋光性が異なる:図1)をもつ分子の一方を、特殊な触媒を用いて自由に合成した業績がノーベル賞に輝いたのは周知の通りである。その話題に触発されて、ローカルなことだが、興味深いと感じたことがある。
  
Opera Omnia
のなかに、「化学は私の研究に如何なる役割をなしたか」化学の領域4(4-5):1-16, 1950.という寄稿がある。その記事のうちに、「その時分(大正21913から2年間だけ京都大学内科教授を引き受けた)の仕事に、細菌教室から貰って来た枯草菌と普通変形菌をチロヂン(アミノ酸の一つ)に働かせると普通変形菌または普通大腸菌其他では右旋性パラオキシフェニール乳酸が出来るし、枯草菌の方では左旋性のものが単離出来、非常に面白いと思って他の人に他のアミノ酸でやらしてみても同様の結果を得たから、それを面白いと思って発表した。その枯草菌の株は永年人工培養して保存しておいた細菌教室の株でチロヂンも僅かしか分解しない、しかし少数ながら他の菌とは異なった旋光性を持つα-オキシ酸が単離せられた」、と記されている。佐々木はドイツ留学以来、タンパク質の生化学について精力的に研究しており、京都の2年間も、そこに保存されていた細菌を使って、蛋白代謝の研究をしていたわけである。
  
もっともこの京都大学の枯草菌株は、増殖もあまり盛んではない特殊な菌株であったらしく、東京に帰って手に入れた増殖の良い通常の枯草菌では、上に述べたような反応はなく一般変形菌や大腸菌と同様な反応しか示さなかった。この佐々木隆興の述べている論文はActa Schol Med Univ Imper Kyoto 1:103-113, 1916.に報告された。他の人にやらせた論文はここでは省略する。
  佐々木の関心はその後化学発癌の方向へ向かった。佐々木は後に、この枯草菌が一般的なものではなく、京都大学細菌学教室の特殊な株であったことを多少悔やむ口調で書いているが、私は逆ではないかと思う。
  
すなわち、現時点で考えると、これらの実験から敷衍してこのような特異な菌株を増やして、あるいは種々な細菌株を調べて、それぞれ特有な酵素を抽出するならば、左旋性および右旋性有機物ひいてはアミノ酸等を自由に選択生産できて、新しい選択的な有機合成、あるいは医薬品ができる可能性を明確に示唆している。これは最近のサリドマイドの薬効と毒性の関連を見ても明らかである。
  
細菌酵素の働きについて総合的な考察がなされていないのは誠に残念といわざるを得ず、またこれから発展して、chiralityあるいは旋光性についても特異的な酵素を細菌から抽出するまでに至らなかったのも心残りである。もちろんそれは周辺技術がほとんど無かった時代背景のためであり、佐々木の所為ではない。しかしそれにしても大正時代におもしろい着想を持って良い研究をしたものだと感心させられた。
 
  尚、原論文には次のような化学式がある(元の論文を一部改変)。
     rlとはそれぞれ右左を意味する。

       
l-tyrosin (or r,l-tyrosinr-tyrosin)

       
l-OHC6H4CH2CH COOH
C2H4 a C6H4と誤植訂正した)

           
NH2

          
 (OHC6H4CH2COCOOH) optically inactive

      枯草菌(京都株)の作用      変形菌の作用

      l-OHC6H4CH2CH COOH            d-OHC6H4CH2CH COOH

        
OH                              OH


       OHC6H4CH2CH2COOH

図1.Chiral:中心の炭素に結合する分子がすべて異なる場合、化学組成が同じで重ね合わせのできない2つの物質が考えられる。それらは光の波動面を右あるいは左に変化させる。タンパクはl型アミノ酸からなる。
           D                              L

佐々木隆興(1878 - 1966

内科医学者。東京生まれ

養祖父は神田駿河台の杏雲堂病院創立者東洋、父は二代目院長政吉。東大医科卒後、同大医化学教室に勤め、ドイツ留学、京大医科教授を経て杏雲堂医院三代目院長に就任。1939年私財を投じて佐々木研究所を創設、理事長兼所長に就く。その間、癌研究会研究所長、結核予防会結核研究所長を歴任。1924年に蛋白質・アミノ駿の研究で、また1936年に福原性化学物質の研究で、共同研究者の吉田富三とともに二度の学士院恩賜賞を受けた。後者では癌原性化学物質を経口的に投与することにより、肝臓癌腫を生じさせることに成功、吉田肉腫に発展した。1940年文化勲章、1951年文化功労賞。

  佐々木研究所ホームページより。