杏雲堂(きょううんどう)の名前の由来
 
 古く中国西晋時代の神仙伝の一節に、呉の国の薫奉(とうほう、字は君異)という名医の逸話として、「人の為に病を治すも銭物をとらず、病の癒ゆる者、軽症の時には杏一株を植えしめ、重症の時には五株を植えしめたり。かくの如くすること数年にして十万余株となり、鬱然として林を成し、杏花雲の如く、杏子大に熟せり。」とあります。
 つまり、昔中国のある名医が治療費の代わりに杏の木を、重症者には五株、軽症者には一株植えさせ、それが後に大きな杏の林になったというお話です。この故事から、医家・医師のことを「杏林」と言うようになりましたが、初代佐々木東洋は「杏花雲の如く」に感じて、明治15年(1882)6月1日の開院時に、「杏雲堂醫院」と命名したと伝えられています。