明治15年 |
(1882) |
佐々木東洋、神田駿河台に杏雲堂医院を開院(6月1日) |
19年 |
(1886) |
佐々木政吉、東京帝国大学医科大学教授に就任(日本人教授第一号) |
27年 |
(1894) |
佐々木政吉、自邸敷地内に研究室を設置(佐々木研究所の母体) |
29年 |
(1896) |
佐々木政吉、杏雲堂医院院長に就任。神奈川県平塚市に結核療養所を設立(杏雲堂平塚病院の母体)
『明治の神田駿河台風景』 |
大正 2年 |
(1913) |
佐々木隆興、京都帝国大学医科大学教授(内科学)に就任 |
5年 |
(1915) |
佐々木隆興、杏雲堂本院・分院院長に就任 |
13年 |
(1924) |
佐々木隆興、帝国学士院恩賜賞を「蛋白質およびこれを構成するアミノ酸の細菌による分解とアミノ酸の合成に関する研究」により受賞 |
昭和
2年 |
(1927) |
佐々木隆興、第25回日本内科学会会頭に就任 |
4年 |
(1929) |
杏雲堂本院、本建築落成 |
10年 |
(1935) |
佐々木隆興、癌研究会癌研究所長兼任 |
11年 |
(1936) |
佐々木隆興、二度目の帝国学士院恩賜賞を「アゾ色素の経口投与によるラット肝癌の発生」により吉田富三と共に受賞。ドイツ学士院会員に推挙される |
13年 |
(1938) |
佐々木研究所落成 |
14年 |
(1939) |
財団法人佐々木研究所設立認可(初代理事長 佐々木隆興)。佐々木隆興、帝国学士院会員に推挙される |
15年 |
(1940) |
佐々木隆興、文化勲章を受章 |
16年 |
(1941) |
杏雲堂医院を財団法人佐々木研究所に寄付。佐々木隆興、結核予防会結核研究所長を兼任 |
17年 |
(1942) |
杏雲堂平塚分院を財団法人佐々木研究所に寄付。佐々木隆興、宮中講書始の儀の進講者に選ばれる |
26年 |
(1951) |
佐々木隆興、最初の文化功労者に推戴される |
28年 |
(1953) |
吉田富三、佐々木研究所長に就任、「吉田肉腫の病理学的研究」により二度目の日本学士院恩賜賞受賞 |
34年 |
(1959) |
吉田富三、文化勲章を受章 |
41年 |
(1966) |
第9回国際癌会議(東京)、会長吉田富三、名誉会長佐々木隆興。佐々木洋興、第二代理事長に就任 |
56年 |
(1981) |
「杏雲堂病院百年史」刊行 |
63年 |
(1988) |
杏雲堂病院新建屋落成 |
平成
2年 |
(1990) |
佐々木研究所新建屋・御茶ノ水杏雲ビル落成。「財団法人佐々木研究所五十年史」刊行 |
5年 |
(1993) |
湘南健診センター開設 |
9年 |
(1999) |
湘南シルバーガーデン(介護老人保健施設)開設。「杏雲堂平塚病院100年史」刊行 |
13年 |
(2001) |
杏雲堂病院創立120周年記念式。黒川雄二、第三代理事長に就任 |
16年 |
(2004) |
平塚病院閉院。 |
17年 |
(2005) |
湘南シルバーガーデン委譲。杏雲堂病院、病院機能評価認定を取得 |
19年 |
(2007) |
杏雲堂病院創立125周年記念講演会、祝賀会を開催 |
24年 |
(2012) |
公益財団法人佐々木研究所として認定・移行/杏雲堂病院創立130周年 |
25年 |
(2013) |
杏雲堂病院総院長に佐藤潔、院長に山中健次郎が就任
学校法人順天堂と公益財団法人佐々木研究所の連携協定締結・調印
|
26年 |
(2014) |
杏雲堂病院総院長に、鶴丸昌彦就任。常務理事(総務担当)に、梶浦寛就任。杏雲堂病院で、全病棟改装、地域包括ケア病棟開設、患者サポートセンター開設など。 |
27年 |
(2015) |
電子カルテ開始。順天堂・佐々木研究所、研究連携タスクフォース開始。動物実験施設改修工事、竣工。佐々木敬、研究所副所長就任。坂本優、杏雲堂病院副院長就任。 |
28年 |
(2016) |
財団副理事長・湘南健診センター担当常務理事を新設、中村俊夫理事就任。 |
28年 |
(2016) |
中村俊夫 第4代理事長に就任(杏雲堂病院院長兼任) |
30年 |
(2018) |
相馬正義 杏雲堂病院院長に就任 |
31年 |
(2019) |
佐々木敬 第5代理事長に就任 |